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<掲載2011.12.13>

  ユニテリアン教会・惟一館の煉瓦塀

                                                    友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

 
●友愛会館の前身はユニテリアン教会・惟一館

 東京・芝にある友愛会館の前身は米国ユニテリアン協会の惟一館(明治27年3月25日竣工)で、ジョサイア・コンドルの設計による和洋折衷の木造二階建ての建物。周囲には煉瓦塀が廻らされていたと伝えられています。

 米国ユニテリアン協会とは、福澤諭吉らの招聘により明治20年に来日したプロテスタントの一派。注意しなければいけないのは「協会」であり、「教会」ではないことです。これは幾つかのユニテリアン教会が集まり、連合体としての「協会」を結成しているためです。それ故、「ユニテリアン協会」と「ユニテリアン教会」は、きちんと使い分けることが必要です。

●日本社会主義運動、労働運動の発祥の地、惟一館

 惟一館では明治31(1898)年10月、安部磯雄らにより社会主義研究会(後の社会主義協会、社会民主党)が結成されたことにより、ここは日本社会主義運動発祥の地とされました。
 また、大正元(1912)年8月には惟一館において鈴木文治らにより友愛会(後の総同盟・同盟、現在の連合)が組織されたことにより、ここは日本労働運動発祥の地となりました。
 このように惟一館は日本社会主義運動、労働運動の発祥の地として記憶されていますが、惟一館自体は昭和20年5月の山の手大空襲で焼失し、残されていません。

 そのため往時の惟一館を偲ばせるものは、友愛会館東側に僅かに残されていた煉瓦塀です。しかし、これも新友愛会館建設工事が始まった2009年秋に解体・撤去され、一部の基礎(土台)部分のみが残されました。

 12月13日現在、この煉瓦塀基礎部分の一部は、「日本労働運動発祥之地」石碑とともに保存されることになりました。

惟一館の煉瓦塀(基礎の一部)はいま、日本の社会主義運動、労働運動の歴史を伝えるモニュメントとなっているのです。

                                                  以上

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<掲載 2011.11.02>

  山河慟哭と大木惇夫の詩
                     友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

 政策研究フォーラムが発行している月刊誌「改革者」の2011年11月号 「回転扉」に掲載した「山河慟哭と大木惇夫の詩」を、政策研究フォーラムのご厚意で転載いたします。

●山河慟哭―東日本大震災

 3月11日の東日本大震災は東北・関東地方を襲い、巨大津波は岩手・宮城・福島を中心とする沿岸の街々を押し流し、津波火災を引き起こして約2万名の死者・行方不明者を生み出した。東北の街々の産業基盤は失われ、国や自治体の復興計画はまとまらず、支援は遅い。業を煮やした一部の人々は支援を待たず自らの力で復興に動き、まるで「復興てんでんこ」の状況にある。

 また、巨大津波は東京電力福島第一原子力発電所を襲い、全電源喪失を引き起こし、水素爆発、炉心溶融により放出された放射能は人々を苦しめた。福島から約6万の人々が県外に漂流し、半年を経た今も原発難民が故郷に帰る目途は立たない。原発事故は「フクシマ」、「想定外」、「風評被害」、「自治体移転」、「ホットスポット」などの言葉を残し、その影響は数十年に及ぶことが懸念される。

 東北の、そして福島の山河は、今も慟哭している。

●大木惇夫の詩・ヒロシマ三作

 東北、特に福島の山河慟哭で思い出すのは、被爆地ヒロシマと広島が生んだ詩人・大木惇夫である。大木は北原白秋に私淑した詩人で、「東洋の瞑想と情緒と諦観のふかさがあった」(保田與重郎)と評された。彼は植村正久牧師から洗礼を受けたクリスチャンで、広島平和公園に原爆への烈しい憤りと悲しみをこめた鎮魂の詩碑を残し、「ヒロシマの心」を今に伝えている。

 大木の未完詩集・悲歌「日本」には、広島三作とも呼ぶべき詩「広島城址」、詩「みたまよ、地下に哭くなかれ」(広島平和公園詩碑)、詩「美はしき山河」が収録されている。

 詩「広島城址」は「ああ空し、今は空し」と結び、慟哭の詩とされる。詩「みたまよ、地下に哭くなかれ」は「戦ひはげに人類の恥辱ぞ」「戦ひはげに人類の愚劣なり」「戦ひはげに人類の自滅ぞ」と謳い、「御霊よ、地下に哭くなかれ」と結び、鎮魂の詩とされる。

 では詩「美はしき山河」はどのような詩なのであろうか。同詩は五つの節から成り、その第一節・第五節は次のように記されている。

         美はしき山河を見よ、

         山河は物を言はねど

         言はずして叫ぶならずや、

         わが民よ、ふるいたてよと。

         みどりの若さ、 

         花咲き薫る日の 光のために。

 

         美はしき山河を見よ、

         山河のさまにならひて

         やすらひの国を興さん、

         いざ、われら、ふるひたたばや。

         鳩飛ぶ御空、

         花咲き薫る日の 光のために。

●慟哭、鎮魂、奮起

 詩「美はしき山河」の第一節は「わが民よ、ふるいたてよと」と人々の奮起を促し、第五節は「いざ、われら、ふるひたたばや」と自らを奮い立たせている。

 同様に第二~第四節(略)も、「わが民よ、こぞりたてよと」「わが民よ、虹を懸けよと」「起て、友よ、望みあれよや」と呼びかけ、最後に同一フレーズ「花咲き薫る日の 光のために」が繰り返されている。

 こうして見ると大木の詩「美はしき山河」は、復興へ向け広島市民の奮起を呼びかけた詩と言える。慟哭、鎮魂を超えているのである。

 広島は「七〇年は草木も生えない」と風評され、「ヒロシマ」と呼ばれたが、翌春、「花咲き薫る日」が訪れた。人々は市内に戻り、街を復興した。いま「ヒロシマの心」は広く、世界に発信されている。

 東北の、別けても福島の人々が風評に負けず「やすらひの国を興さん」と希望を持ち、「虹を懸けよ」と奮い立つ限り、街々に「花咲き薫る日」は訪れるであろう。福島が「ハッピーアイランド」となり、「フクシマの心」が世界に発信されることを願うものである。

                                                     以上

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<掲載 2011.6.6>

  東日本大震災と山下りんのイコン

                           友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

 政策研究フォーラムが発行している月刊誌「改革者」の2011年5月号 「回転扉」に掲載した「東日本大震災と山下りんのイコン」を、政策研究フォーラムのご厚意で転載いたします。 

●未曽有の東北関東大震災

 三月十一日に東北・関東地方を襲った巨大地震と津波は、岩手県・宮城県の三陸海岸を中心に多くの人々の命を奪い、多数の家々を押し流した。また、福島の原子力発電所に深刻な被害をもたらし、世界的な反響を巻き起こしている。

 東京などでも多数の帰宅困難者を生み出し、津波火災・津波てんでんこ・震災関連死・フクシマ・自治体移転・屋内避難・計画停電・計画的避難区域・風評被害などの言葉がマスコミを賑わしている。

 アメリカを中心とする多数の国から支援の手が差し伸べられる一方、多くの外国人が日本を脱出し、外国人観光客の「日本敬遠」は広がっている。

 三月十一日の東日本震災とそれによってもたらされたものは、永く日本の人々に記憶され、伝えられるであろう。

        大海の磯もとゞろに寄す津波  割って砕いて裂いて引くかも(実朝擬き)

●被害を受けた金成正教会

 ところで友愛労働歴史館はこの三月十一日~十二日、「鈴木文治の故郷巡りと吉野作造記念館見学ツアー」を計画していた。しかし、事務局の都合により一週間前倒しし、三月四日~五日に鈴木文治(一八八五~一九四六)の故郷巡り(宮城県栗原市)と吉野作造記念館(同大崎市)の企画展「吉野作造と鈴木文治」見学を実施した。

 これにより大震災に遭うことなく無事に日程を終了。四日の仙台での懇談会、五日の吉野作造記念館企画展見学、鈴木文治記念碑見学、さらに文治の故郷・金成の金成歴史民俗資料館・金成ハリストス正教会・鈴木文治生家跡記念碑(片山哲元首相揮毫)の見学も、予定通りに終えることができた。

 だが私たちが見学した金成(現栗原市)は震度七で、重大な被害を受けている。特に文治が洗礼を受けた金成ハリストス正教会は、六年前の宮城県南部地震で被害を受け、ようやく修復したのに今回の大地震。建物は再び被害を受け、壁は崩れ落ちた。

●山下りんのイコンはいま

 金成ハリストス正教会はその瀟洒な姿で、日本建築史の上で注目されている。しかし、ここは日本初の女性洋画家山下りんや牧島如鳩(ハリストス正教会牧師で洋画家)のイコン(聖像画)があることでも知られている。

 山下りんは日本人最初のイコン画家とされ、その聖像画は東北・北海道を中心とする多くのハリストス正教会に飾られている。しかし、作品は全て無署名であり、彼女の名前は教会関係者や一部の美術愛好家にしか知られていない。

 日本正教会のHP「山下りん聖像所蔵教会一覧」によれば、岩手県では盛岡ハリストス正教会・岩谷堂ハリストス正教会・山田ハリストス正教会・一関ハリストス正教会・盛ハリストス正教会が、また宮城県では石巻ハリストス正教会・高清水ハリストス正教会・金成ハリストス正教会・上下堤ハリストス正教会・仙台ハリストス正教会が、それぞれ山下りんの作品を所蔵している。

 今回の震災では、これらの教会のうち三陸海岸にあった盛(大船渡市)・石巻(石巻市)・上下堤(東松島市)の各ハリストス正教会が被害を受けている。山下りんのイコンはどうなっているのであろうか。

 自然災害の陰で報じられることなく、人知れず失われていくものは数多くある。また、政治的意図で失われていくものもある(例えばロシア革命でのイコン)。

 しかし、「伝えられるべきもの」であれば、「伝えるべき人」により、それは伝えられていく。山下りんのイコンもその一つであろうし、金成ハリストス正教会の人々が伝えていくであろう。

 当館が保有する多くの先達者のメッセージもまた、伝えられるべきものである。私も「伝える人」の一人になりたいものである。

                                        (余震を感じつつ合掌)

                                                      以上

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<掲載 2010.11.29>

 ジョサイア・コンドルと惟一館・神田青年館

                              友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄


 ●三菱一号館美術館で「コンドルの岩崎邸建築展」開催中!

 現在、東京・丸の内の三菱一号館美術館歴史資料室で、「日本近代建築の父」と呼ばれたジョサイア・コンドル(1852~1920年。英国人。明治のお雇い外国人)の没後90年を記念した「コンドルの岩崎邸建築展」が、2010年11月23日から2011年2月6日までの予定で開催されています。

 この三菱一号館美術館の前身は旧三菱一号館(1968年に老朽化のため解体)で、ジョサイア・コンドルが明治27(1894)年に設計した建築物の一つ。関東大震災、東京大空襲を生き延びましたが、老朽化のため1968年に解体されており、昨年、昔の姿で復元されました。

 コンドルは明治27年、東京・芝にユニテリアン教会・惟一館、神田に東京基督教青年会館(神田青年会館)を建築しており、丸の内の三菱一号館と併せて3つの建物を竣工しています。彼のエネルギシュな活躍には驚かされるばかりです。

●神田青年館は労働組合期成会ゆかりの建物!

 ところで三菱一号館は別として惟一館と神田青年館は、社会主義運動や労働運動ゆかりの建物として今日でも知られています。

 ユニテリアン教会・惟一館は、日本最初の無産政党・社会民主党の結成準備が行われた所であり、その中心人物は安部磯雄や村井知至らのユニテリアンでした。また、惟一館はユニテリアン教会幹事の鈴木文治が大正元(1912)年に友愛会を結成しており、現在は友愛会館として友愛会系労働組合の一大拠点となっています。

 一方、「神田の青年館」と親しまれた東京基督教青年会館は、労働組合などの集会所として広く利用されました。このため当時、「演説会や大集会の神田青年会館」と呼ばれていました(『東京キリスト教青年会100年史』・斉藤実著)。

 ここでは日本労働運動の嚆矢とされる1897(明治30)年の労働組合期成会が度々、演説会を開催しています。第一回演説会は期成会発足直後の1897年7月18日。その後、10日に1回のペースで演説会、談話会を開いたとされ、神田青年会館は日本労働運動、社会運動のゆかりの地、場所とされています。神田青年会館は1923年9月1日昼頃に関東地方を襲った大震災により破壊され、焼失しています。

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<掲載 2010.10.14>

 
 当歴史館でデジタル版『六合雑誌』の提供を始める!

 
                         友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄
●『六合雑誌』とは!

 友愛労働歴史館は昨年来、『六合雑誌』のデジタル化を進めていましたが、このほどデジタル版『六合雑誌』(PDF)として希望者への提供をスタートさせました。

 『六合雑誌』は明治13(1880)年に東京青年会により創刊され、大正10(1921)年の第481号をもって終刊となったキリスト教系雑誌。その出版は東京青年会⇒東京警醒社⇒六合雑誌社⇒日本ゆにてりあん弘道会⇒統一基督教弘道会と変遷しています。
 「六合」とは、天地及び東西南北の六方を意味し、宇宙を指す言葉と言われています。明治31(1898)年に『六合雑誌』は、ユニテリアン協会の機関誌『ゆにてりあん』(後の『宗教』)と合併し、ユニテリアン系の新『六合雑誌』となります。


 『六合雑誌』は単なるキリスト教関連雑誌に止まらず、「思想・評論誌として近代日本の思想や文化に大きな影響を与えた雑誌」とされています。特に社会思想・社会問題について進歩・革新の立場をとり、明治・大正期の社会運動、労働運動にも大きな影響を与えたことで知られています。


 例えば明治34年に社会民主党を結成し、日本社会主義運動の父と呼ばれた安部磯雄はユニテリアンで、『六合雑誌』にしばしば登場しています。また、大正元年に友愛会を創立し、日本労働運動の父と呼ばれた鈴木文治もユニテリアンで、一時期、『六合雑誌』の発行兼編集人を務めていました。このように『六合雑誌』は、社会主義運動や労働運動に関心を持つ人たちにとっても必読の書とされています。

●閲覧希望者は当館へデジタル版『六合雑誌』の申し込みを!

 『六合雑誌』を読むためには現在、復刻版『六合雑誌』(不二出版)を国会図書館等で読むことになりますが、意外と煩雑です。そこで研究者が自宅や研究所で気軽に読めるデジタル版『六合雑誌』が求められますが、当歴史館のデジタル版『六合雑誌』はこのような要望に応えたものです。

 当歴史館は現在、インターネットのオンラインストレージ「クオンプ」(リコー株式会社)で提供しています。このため閲覧希望者は先ず友愛労働歴史館へEメールで申し込み、その後、指定の方法でオンラインストレージ「クオンプ」にアクセスし、自分でダウンロードすることになります。

●デジタル版『六合雑誌』を読むためには!
 友愛労働歴史館のデジタル版『六合雑誌』は、(株)ニチマイのマイクロフィルムを単にPDF化したもので、目次やキーワードなどの検索ができません。そこで必要になるのが『「六合雑誌」総目次』(同志社大学人文科学研究所編・教文館発行)です。

 この書籍、1984年に出版されたもので、現在は販売されていません。しかし、インターネットでアマゾンや「日本の古本屋」を検索すれば、1万円前後で販売されていますので、これを入手するのが第一歩。その後、『「六合雑誌」総目次』で『六合雑誌』各号の内容を確認し、当該号をオンラインストレージ「クオンプ」からダウンロードすればよいのです。

 何れにしろ閲覧希望者は友愛労働歴史館までEメール  yuai@yuairodorekishikan.jpでご連絡、ご一報ください。

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<掲載2010.7.22>

 社会思想家・武藤光朗氏逝去から12年

                                 友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

 まもなく社会思想家・武藤光朗氏が逝去してから12年になります。武藤先生は1914年3月17日に福島県で生まれ、1998年7月25日に東京・大田区で亡くなられています。享年84歳でした。

 フリー百科辞典『ウィキペディア』は、「武藤光朗(むとう みつろう) 日本の社会評論家」として紹介し、経歴を「福島県生まれ。東京商科大学卒業。横浜専門学校教授、日本外政協会、日本国連協会の調査課長を務め、國學院大學教授、中央大学教授、早稲田大学客員教授を歴任。自由人権委員会委員長、民社研顧問を務めた。社会主義思想、ヤスパース哲学などを研究し、自由主義の擁護を行い、湾岸戦争の際は文学者の反戦署名を批判した」と記述しています。

 また、著書として『現代日本の革命と反抗』、『社会主義と実存哲学―現代社会と自由の反抗』、『革命思想と実存哲学』、『例外者の社会思想ヤスパース哲学への同時代的共感』など21冊を紹介しています(詳細略。共編著も略)。

 武藤先生の『社会主義と実存哲学』を読んで社会運動(政治活動、労働運動)に入り、晩年の先生から「友愛社会主義」のお話を拝聴した身には、「社会評論家」という肩書きよりも「社会思想家」という肩書きがの方が、武藤光朗先生には馴染むと思います(晩年の先生自身が社会思想家と名乗っていた)。

 また、『ウィキペディア』の経歴欄には民主社会主義研究会議議長、インドシナ難民連帯委員会(現アジア連帯委員会)会長などの肩書きも付け加えて欲しかったところです。

 なお、武藤先生のゼミ仲間で作る珊瑚会の同人誌『まじわり』第3号は、「恩師・武藤光朗先生」と題した追悼特集号(2000年3月発行)で先生の関係年譜、著作リストなども掲載されており、友愛労働歴史館にも所蔵されています。



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<掲載2010.6.28>

 「鈴木文治ゆかりの地」を訪ねて、6月17日

                            友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

 日本労働運動の源流・友愛会(現・連合)を創立した鈴木文治は1885年、宮城県栗原郡金成村(現・栗原市)で生まれており、同地には鈴木文治関連資料や胸像などが残されています。

 下の写真は金成歴史民俗資料館と鈴木文治生家跡の記念碑、古川(現大崎市)にある「鈴木文治の碑」、金成ハリストス正教会で、撮影は6月17日です。

 金成ハリストス正教会は鈴木文治が少年の頃に洗礼を受けた教会であり、当日は同教会執事長のイリヤ川股峰輝氏の案内で見学いたしました。内部のイコン(聖像画)は牧島如鳩(正教会牧師で画家)の手になり、また日本初の女性洋画家山下りんのイコンもあります。


         金成歴史民俗資料館(旧金成小学校)


      金成歴史民俗資料館前の鈴木文治像


      金成歴史民俗資料館の内部(鈴木文治関連コーナー)


         鈴木文治生家跡の「鈴木文治の碑」(金成)


            宮城県古川にある「鈴木文治の碑」


                 金成ハリストス正教会


       金成ハリストス正教会の内部(絵は牧島如鳩)

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<掲載2010.5.25>

 「東京山の手大空襲で日本労働会館焼失、昭和20年5月24日」

                           友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

●5月24、25日は東京山の手大空襲

 5月25日は東京山の手大空襲の日。死者10万を出した昭和20年3月10日の東京(下町)大空襲はよく知られていますが、同25日夜の山の手大空襲を知っている人は少ないようです。

 5月25日朝のNHKテレビはこの山の手大空襲を報じ、被災者の体験記である『表参道が燃えた日―山の手大空襲の体験記』の紹介を行っていました。これにより山の手大空襲は今後、多くの人々に記憶されるでしょう。

 ところで山の手地区の空襲は、5月23日夜にも行われています。正確には24日午前1時からの空襲で、この空襲は東京でも最大規模のものとされ、東京芝区の日本労働会館(現友愛会館)も、この空襲で消失しています。近くの芝公園には高射砲陣地があり、B29を迎撃したようですが、逆に激しい攻撃を受け、ここに避難した人たちの多くが亡くなっています。結局、24・25日の空襲で約4400名の命が失われています。

 『東京大空襲・戦災誌―都民の空襲体験記録集―』第2巻には、東京芝区の人たちの体験記が収録されており、そこには増上寺境内の羅漢寺が焼き尽くされたこと、芝公園の五重塔が焼け落ちたことなどが記録されています。

 24・25日の空襲がいかに大規模だったかは、3月10日の東京大空襲がB29・325機で1665トンの焼夷弾と記録されているのに対し、24日が562機で3645トン、25日が502機で3258トンとされていることからも明らかです。山の手大空襲の死者が少ないのは、山の手と下町の人口密集度や地形の違いがありますが、それまでの空襲の教訓から強制疎開が行われていたことがあるのでしょう。

●惟一館、24日に焼失

 日本労働会館(旧ユニテリアン教会・惟一館。戦前・戦後の総同盟本部会館。後の友愛会館で現在、立替工事中)は、ジョサイア・コンドルが設計し、明治27年に竣工した建物。昭和15年に総同盟が解散を命じられ、日本の労働運動が消滅した後は、(財)日本労働会館が病院やアパートを経営していました。

 5月24日の空襲では、「日本労働会館本館、アパート青雲荘が全焼し、鉄筋コンクリート三階建ての友愛病院の二、三階部分が全焼、一階部分が焼け残った」と記録されています(『財団法人日本労働会館60年史』)。

                                             以上

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<掲載2010.5.19>

 「背教者・片山潜―その転向と悲しみー」

                                                友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

●社会民主党結党から109年
 109年前の1901(明治34)年5月18日、安部磯雄や村井知至、片山潜ら6名により社会民主党が結成されました。日本で最初の社会主義政党の誕生です。社会民主党は19日に結社届出、20日に結社禁止の解散命令を受け消滅しますが、その前身は1898(明治31)年の社会主義研究会です。

 この年の10月、東京・芝区三田四国町のユニテリアン教会・惟一館で、村井・安部・片山らのクリスチャンにより社会主義研究会(村井知至会長)が結成されます。これは「社会主義研究を目的としてわが国最初の研究会」で、村井と安部が設立を協議したとされています。社会主義研究会は1900年2月の第12回例会で社会主義協会と改称。そして社会民主党の結成へと向かうのですが、この流れの中で注目されるのは片山潜(1859~1933)です。

 
●背教者・片山潜
 片山は米国エール大学を卒業したクリスチャン。1896(明治29)年に帰国し、ユニテリアン教会の機関誌『六合雑誌』の編集員となります。翌97年にはキングスレー館を開く一方、労働組合期成会の結成に尽力し、その機関誌『労働世界』の主筆に就任。1898年には社会主義研究会に参加し、社会民主党結成メンバーの一人となります。

 1914(大正3)年に米国へ亡命、ロシア革命の影響でマルクス主義に傾倒、北米で共産主義活動を行います。後にソ連に渡り、1933(昭和8)にモスクワで客死しています。

 片山は今日、日本の労働運動、社会主義運動を代表する活動家として名を残しています。しかし、彼はなぜキリスト教社会主義者から共産主義者に転向し、背教者となったのでしょうか。日本政府の過酷な弾圧、ロシア革命の圧倒的な影響などが考えられます。しかし、それにしても神の前に屹立し「人間の尊厳」を求めた不屈なクリスチャンは、どこへいってしまったのでしょうか。

 
●西尾末広と片山潜
 大正13(1923)年、赤色労働組合の招待でソ連に入った西尾末広(労働運動家、政治家)は、モスクワで片山潜に会ったときの思い出を『大衆と共に』に記述しています。これによれば片山は西尾の手を握り、「私はもう老いた。日本の無産階級解放は君ら若い人に期待するほかない」と、目を潤ませていたようです。

 異国で亡命生活を送る「温厚で親しみ深い老人」に同情の念を禁じ得ませんが、無産階級解放をめざした片山は結局、コミンテルン幹部となることで共産党一党独裁に手を貸し、「人間の尊厳」を傷つける全体主義者に転落したのではないでしょうか。

 片山潜に背教者の悲しみを読み取ることは、読み取る者にとってもまた、悲しいことです。

                                                                                    以上

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<掲載2010.4.19>

 「日本労働会館物語」で心がける二つの点

                              友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

●友愛労働歴史館は現在、PRや情報提供のためメールレポート「友愛労働歴史館たより」を随時(月2回程度)発行しています。

 この中で「日本労働会館物語」の連載を行っており、日本労働会館(戦前昭和期)やその前身であるユニテリアン協会・惟一館(明治・大正期)、後身である総同盟会館・友愛会館(戦後)について、またそのゆかりの人々について記述しています。

 いまは惟一館建設(明治27年)までの前段階として、明治二十年代のユニテリアンやユニテリアン・ミッションについて記述していますが、二つの点に留意しています。一つはどこまで正確に記述できるかという点であり、もう一つはどこまで記述すべきかという点です。

 第一の点は、ユニテリアンでもない無神論者の元労組書記がどこまで正確にユニテリアン教やユニテリアン・ミッションについて記述ができるかということです。そこでユニテリアン研究の第一人者である土屋博政先生(慶大名誉教授)の本や論文、また「ユニテリアン友の集い」の紺野義継氏の一連の訳書を参考に、注意しながらていねいに記述していこうと考えています。

 第二の点は、当館のような労働運動の資料館が、どこまでキリスト教の一宗派とされるユニテリアン教やユニテリアン・ミッションについて記述できるかということです。しかし、これは福沢諭吉らが宗派性を否定したリベラリズム(自由主義)の運動として受け容れていたことに留意し、また安部磯雄や鈴木文治ら社会主義や労働運動の先達たちがユニテリアンであったことに留意するならば、必要な範囲での言及は許容されると思います。

 それにしてもユニテリアン精神の「自由と寛容」、「自他の尊重と自己信頼」に思いを馳せるとき、「神の前に屹立するのは一人ひとりの人間であり、個人を国家や民族や階級の中に埋没させてはならない」という強烈な個人主義・人間中心主義を感じるのは、私一人ではないでしょう。

 ここで個人主義とは「個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想・行為を重視し、そこに義務と責任の発現を考える立場」(スーパー大辞林)であり、全体主義の「個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならないという思想」(スーパー大辞林)と対立する概念です。

 結局、ユニテリアン主義はリベラリズム(自由主義)と個人主義を育み、資本主義と全体主義(戦前日本の国家主義やドイツのナチズム、共産主義など)がもたらす非人間性への抵抗原理となったのです。ユニテリアン主義は、後に社会思想家の武藤光朗氏が唱えた「自由の二重の反抗の行動原理」と通底しているのでしょう。

                                                                        以上

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<掲載2010.4.13>

 「ジョサイア・コンドル没後90年、三菱一号館美術館オープン」

                           友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

●ニコライ堂、旧岩崎邸、古河邸、旧島津邸などへの高まる関心!

 去る4月6日、東京丸の内の三菱一号館美術館で、開館記念展「マネとモダン・パリ」展(4月6日~7月25日)がスタートしました。

 旧三菱一号館は「日本近代建築の父」とされるジョサイア・コンドル(1852.9.28~1920.6.21)が設計した赤レンガつくりの建物で、明治27(1894)年に竣工しています。三菱合資会社の銀行部として利用され、関東大震災や東京大空襲を生き残りましたが、昭和43(1968)年に老朽化のため解体されていました。昨年4月、40年余りの時を経て、コンドルの設計通りに復元され、一年の準備期間の後、新たに三菱一号館美術館としてオープンしたものです。

 美術館はともかくジョサイア・コンドルは当歴史館にもゆかりの人で、ユニテリアン協会・惟一館を設計した人です。明治10(1877)年、政府のお雇い建築家として来日したコンドルは、工部大学校(現東大工学部)で後の日本建築界を背負うことになる辰野金吾や片山東熊らを育てたことで知られています。

 コンドルは東京上野博物館、鹿鳴館、海軍省本館などを数多くの建物を設計しますが、今でもニコライ堂、旧岩崎邸、綱町三井倶楽部、旧島津邸、旧古河邸、六華苑(旧諸戸邸)などが現存し、建築愛好家、歴史マニアの注目を集めています。三菱一号館を竣工させた明治27年には惟一館、東京基督教青年会館(通称神田青年館、明治・大正期に社会主義運動、労働運動の拠点として利用された)も竣工させており、その活躍は目を見張るものがあります。

 彼は日本女性と結婚し、日本に永住。また、河鍋暁斎に師事して日本画を学ぶなど日本文化に傾倒し、『日本庭園入門』や『日本のいけばな』などの著書があります。大正9(1920)年6月21日、11日前に亡くなった妻くめの後を追うように死去しています。その墓は現在も東京・護国寺に残されています。

                                                    以上

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<本コーナーを「友愛労働歴史館の解説員便り」に改めます、3月26日!>

 このコーナーでは今まで友愛労働歴史館の紹介、見学案内などを掲載してきました。しかし、当館の展示活動が休止となり(資料の収集・保管、調査・研究は継続中)、また私(解説員・間宮悠紀雄)のgooブログ「友愛労働歴史館の解説員便り」が、期間満了のため廃止となりました。

 このため今後は本コーナーを活用し、「友愛労働歴史館の解説員便り」を掲載することにいたしました。よろしくお願いいたします。なお、本コーナーに掲載していた友愛労働歴史館に関する紹介文・写真は、一部を除き削除いたしました。ご了解をお願いいたします。

<掲載2010.3.26>

  「100年後の一人のために」

                           友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

 ●処分される労働資料!

 友愛労働歴史館は2006年にオープンした時、情報収集や資料のリユースなどを目的に労働資料協(社会・労働関係資料センター連絡協議会)に加盟しました。ここには東京大学図書館、東京都労働資料センター、同志社大学人文科学研究所、労働政策研究・研修機構などが加盟しており、事務局は大原社会問題研究所が務めています。

 このような図書館、史料館などで働く人たちの現在の悩みは、各図書館・史料館などで進んでいる行革や経費節約による事業縮小・資料整理(処分)。東京では何年か前に東京都労働資料センターで業務縮小、資料の整理が行われました。また、大阪でも労働関連事業の整理統合が進められ、旧労働四団体や研究者らが設立した大阪社会運動協会は事業の見直しが求められています。

 愛知県では本年3月に愛知県勤労会館が閉館し、労働図書資料室が閉室となります。労働資料は新たに開館した愛知県産業労働センターに移管されますが、書庫の十分な確保ができず所蔵している労働資料の多くが処分される見通しとなっています。

 このような状況は国・自治体の財政が厳しい中、当分の間、続くとみられます。100年後に一人の研究者が資料館、図書館を訪れても、見るべき図書、紐解く資料がないことが予想されるのです。図書館、史料館などで働く人たちの悩みはこれからも続きます。

                                                  以上

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 2005年10月にオープンした友愛労働歴史館の歩み、活動について「友愛労働歴史館とは」にまとめてみました。

                 「友愛労働歴史館とは」
                                            2010年3月1日
<友愛労働歴史館について>

 友愛労働歴史館は友愛会・総同盟(大正元年、鈴木文治が結成した労働組合)系労働組合が設立した財団法人日本労働会館(1931年)が運営する小さな、手作りの歴史資料館(友愛会館6階、東京・港区芝)です。

 2005年10月25日にオープンし、2006年10月25日の「鈴木文治―没後60年、その人と生涯―」展を皮切りに現在まで8回の展示会(常設・特別)活動を行ってきました。また、2007年より4回の公開講演会を開催してきました。

 しかし、友愛会館立て替えに伴い、2009年8月の「賀川豊彦と労働運動」展をもって展示会活動は休会となり、現在は仮事務所(興和三田ビル・港区芝)で資料の収集・管理、調査・研究などに取り組んでいます。

 2012年春に竣工する新友愛会館8階に入居し、同年8月1日に新友愛労働歴史館としてオープンする予定です。

 友愛会館の前身は戦前の日本労働会館(1931年)であり、さらにその前身は1894(明治27)年に竣工したユニテリアン教会・惟一館で、設計者は鹿鳴館、ニコライ堂、岩崎邸、三井邸などで知られるジョサイア・コンドルですが、1947(昭和20)年5月の空襲で消失しています。

 当館はその歴史的経緯から、①友愛会・総同盟から同盟・連合までの労働運動関連資料、②戦前の社会民主党・社会民衆党から戦後の日本社会党・民社党までの政党関連資料、③ユニテリアンゆかりの社会運動関連資料の収集・管理等をめざしています。

 また、初期のユニテリアンを支えた福沢諭吉、草創期の友愛会を支援した渋沢栄一、総同盟リーダーとして活躍した賀川豊彦、日本労働会館の建設を助けた安部磯雄・新渡戸稲造・吉野作造、さらに惟一館を設計した建築家J・コンドルの資料収集も心がけています。

 
<友愛労働歴史館開設までの経緯と主な活動>

2004(平成16)年05月31日 (財)日本労働会館理事会において、総同盟記念室

  拡充強化を確認。友愛連絡会へ資料寄贈を依頼。同年10~12月の間、友愛連

  絡会資料室の整理作業を行う。

2005(平成17)年04月1日 友愛連絡会資料室の資料と管理を引き継ぐ。

2005(平成17)年10月25日 友愛労働歴史館オープン(友愛会館6階)。関係者

  を招き、記念講演会、見学会を開催。友愛労働歴史館の名称は公募(UIゼン

  セン同盟・小川勝久氏)。

2006(平成18)年10月25日 第1回展示会「鈴木文治―没後60年、その人と生

  涯-」展を開催。以後、8回の展示会活動を開催。

2007(平成19)年11月7日 第1回公開講演会「鈴木文治が語りかけるもの」開

  催。以後、4回の講演会を開催。

<友愛労働歴史館の体制、住所等>

 友愛労働歴史館

   館  長  服部光朗(日本労働会館理事長)

   事務局長 間宮悠紀雄

   所在地  〒108-0014 東京都港区芝4-8-2 興和三田ビル 財団法人日本労働会館内

          ℡050-3473-5325、Fax03-3451-1710 Eメール yuai@yuairodorekishikan.jp

          ホームページ http://www.yuairodorekishikan.jp/ 

       

<展覧会の記録・2006年~2009年>

①特別展「鈴木文治―没後60年、その人と生涯―」展

  2006年10月25日~2007年3月12日・友愛労働歴史館展示室

 特別展特別企画「社会民衆党と鈴木文治」展・2006.12.5~2006.12.26

②常設展「日本の労働運動(戦前)と友愛会・総同盟」展

  2007年3月15日~2007年9月28日・労働歴史館展示室

③特別展「目で見る同盟23年史―友愛会から連合への歩みの中でー」展

  2007年10月1日~2007年12月25日・友愛労働歴史館展示室

④常設展「同―新渡戸稲造らはなぜ日本労働会館を支えたのかー」展

  2008年1月8日~2008年3月31日・友愛労働歴史館展示室

⑤特別展「労働組合主義の確立者 松岡駒吉―生誕120年、没後50年―」展

  2008年4月8日~2008年8月14日・友愛労働歴史館展示室

⑥特別展「民社党の35年―100年余の民主社会主義運動の中でー」展

  2008年9月2日~2008年12月26日・友愛労働歴史館展示室

⑦常設展「日本の労働運動(戦前)―福沢諭吉と友愛会の精神―」展

  2009年1月8日~2009年3月26日・友愛労働歴史館展示室

⑧特別展「賀川豊彦と労働運動」展・2009年夏

  2009年42日~2009年8月4日・友愛労働歴史館展示室

 
<公開講演会の記録・2007年~2009年>

☆第1回公開講演会「鈴木文治が語りかけるもの」・芳賀清明氏

  2007年11月7日・友愛会館

☆第2回公開講演会「松岡駒吉を語るー労働組合主義の確立者」・天池清次氏

  2008年6月18日・友愛会館

☆第3回公開講演会「風雪の友愛・民社路線―光を掲げた先人に学ぶ」・芳賀綏氏

  2008年11月14日・友愛会館

☆第4回公開講演会「友愛の理念―その歴史と今日的意義」・小林正弥氏

  2009年7月17日・友愛会館

 
                                                     以上

 
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<リンク先>

 労使関係研究協会 http://www.roshiken.jp/

 ホテル三田会館 http://www.mitakaikan.com/

 友愛会歴史研究HP  http://www15.ocn.ne.jp/~uirekisi/12.html

 友愛労働歴史館の解説員だより http://blog.goo.ne.jp/ui-rekisikann/

 政策研究フォーラム http://www.seiken-forum.jp/

 賀川豊彦記念・松沢資料館 http://zaidan.unchusha.com/

 民社協会 http://www.minsha.org/

 連合(日本労働組合総連合会) http://www.jtuc-rengo.or.jp/

 港区産業観光ネットワークHP・港区産業アラカルト「港区はじめて物語」   http://minato-ala.net/sightseeing/welcome/root37/r04.html

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<資料案内>

 友愛労働歴史館の現在の保管・公開資料は、①友愛会から同盟までの民主的労働運動関連資料、②社会民衆党から民社党までの社会民主主義、民主社会主義政党関連資料、③ユニテリアン教会・惟一館関連資料、④その他の労働運動・社会運動関連資料、に大別されます。

①民主的労働運動関連資料

  大正元年結成の友愛会から1987年に解散した同盟までの、民主的労働運動に関連する資料

②社会民主主義、民主社会主義政党関連資料

  大正15年結成の社会民衆党から社会大衆党、戦後の日本社会党を経て昭和35年に結成された民社党までの、社会民主主義・民主社会主義政党に関する資料 

③ユニテリアン教会・惟一館関連資料

  明治20年のユニテリアン牧師来日から始まる日本のユニテリアンの活動やユニテリアン教会・惟一館に関する資料

④その他の労働運動・社会運動資料

  上記友愛会~同盟、社会民衆党~民社党ゆかりの人々の書籍、日本の労働運動と社会運動を歪めた共産主義を批判する書籍などを収集・保管・公開


その他


  

                                    

             


 

 


  



 
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